山梨鐐平

シンガーソングライター

◀ 戻る

7/23/2021

私は臆面も無く伺い、それはクレモナのピロン氏製作の楽器であるかを、その老女に問うたのでございます。
その時、老女は消え入る様な声で、このように申されました。
「クレモナのピロン氏と言う方は存じ上げません。この楽器は私が若かりし頃にヴェネツィアのサント・セラフィンと言う方に誂えた物でございます。
御覧の様に、今ではもうあちらこちらひび割れておりますが、音は今以って若々しく、むごたらしくも私を置いてきぼりにするのですよ。
けれども、何の外連も無いこの楽器の実際は私の事を愛して下さっているのです。
時に、貴方様はあの塔の窓から私の調弦の音が聴こえたとおっしゃる。
あれは見栄の塔と呼ばれておりましてな、塔と言うには単に名前のみ、中は空っぽなのでございますよ。八百年以上前に建てられて、その後朽ち果て、今では跡形無き物。
貴方様にはあの塔がまことに見えたのかや。」

(つづく)